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2006/01/24

カルシウム

毎週末に妹一家をウチに呼んで夕食を共にするのが最近の習慣なんですが、その時4歳になる甥っ子が食卓でぽつりと言ったのです。


「おかあさん、いらいらしているんだから、わいんよりもぎゅうにゅうをのめばいいのに」


えー。ちなみにその日の献立は豚のしょうが焼きとキャベツの千切り、卯の花、味噌汁、という粗食であって、ワインなんかもちろんついちゃいない。

妹はすぐにそんなことないでしょー、とか言っていたが、4歳児にそこまで言われるようでは困るではないか。

イライラ防止にはカルシウムが良い、というのは大昔から言われることで、4歳児でも知っているほどの常識である。

ココで場を和ませるために母が昔話をはじめた。私たちがまだ小学生の頃、父兄参観日に行ったときのこと。

その担任の先生は職場を移ってきたばかりで大変に気合が入っていた。
毎日学級通信をかならずしかも長文の面白いモノを発行していた(もちろんパソコンなんてないのでガリ板刷りである)
父兄参観の授業も面白く、更に工夫がこらされていて、参加者は皆感動していたのでございます。
こりゃあすごく良い先生が来てくれたものだ・・・と。

その素晴らしい授業が終わり、母もその他の父兄達も、その先生と個別に面談をするために教室に残った。
そして先生がほどなく現れ。あたりさわりのない挨拶をした後で、神妙な顔をして話しだしたのだと言う。

・・・・私は反省をしているのです。

意外な言葉であった。母達は固唾を呑んで見守った。


・・・・・私は、何とかして早く環境に慣れて、授業も、行事も、体育も、一生懸命やってこどもたちに認められたいと思っていました。
しかし、それが逆に自分にとって重荷になってしまったのです。
毎日学級通信を書くことが特に負担になっていました。
私は毎日毎日イライラしながら、授業をしていたのです。
こどもたちはすっかり萎縮してしまい、また私もこども達に明るく接することができず、悩んでいました。

そして、ある日、私はイライラを爆発させてしまい、授業を自習にして、教室でガリ板を刷り始めたのです。
学級通信に、こども達が言うことを聞かない、静かにしない、どうしてくれよう、と書いてやろうと思ったのです・・・・。

険しい顔をしてガリ板に向かった私のところへ、一人の児童が近寄ってきました。
私は顔も上げずにいました。
するとその子は、ドンっと大きな音をさせて私の机の上に何かを置きました。

私はようやく顔を上げて机の上を見ました。するとそこには

ワダカルシウムの大瓶

が乗っていたのです

私がその子の顔を見上げると、その子はニヤリと不敵に笑って自分の席に帰っていきました・・・・・・・・。

先生は神妙な面持ちで沈痛に語ったのであるが、母は大笑いしてしまったそうだ。
母の笑いにつられてその他の父兄にも笑いが広がり、最後には先生も笑ったのだそうだ。

そして個人面談(といっても一人3分くらいだけれど)が始まって、母の順番が回ってきたとき、先生はおっしゃった。

・・・・実はお母さん、あのときワダカルシウムの大瓶を置いていった子というのはお宅のお子さんなのです・・・。

そうして先生は、ワタシがばーちゃんの戸棚から拝借したワダカルシムの大瓶を返してくれたんだそーですわ。

と、いうわけでヤナギ、カルシウムだぜ。

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2006/01/15

恒例行事

今年もやってまいりました。

鮭のいずしをひっくり返す日が。

いずしというのは鮭と野菜と米とこうじを漬け込んだ漬物というかなれ寿司の一歩手前というか、まあ、そういう代物です。
はっきり言ってかなり好き嫌いの別れる食べ物である、と私は思う

で、私の母はこのいずしが大好物であるため毎年年末に市場で購入していたんでありますが、その高価格ぶりに業を煮やして、ついに自分でいずしを漬けるというけものみちに分け行ったのでございます。


ホームセンターから巨大ないずし専用のタルを買ったはいいものの、肝心のいずしの作りかたがわからなくて2年放置。
その後検査入院中に同室の漬物名人のおばあさんに教えを請い、地元のテレビで放送されたレシピをメモし、
ついに彼女はいずしを自作したのでございます。
そして、見事腹も壊さなかったのでございます。


さてそのいずしの作りかたというのはべつに難しいもんじゃありません。

1・新巻鮭3本を薄切りにして酢につける。
2・キャベツ大根にんじん生姜などの野菜を切る
3・ごはんを一升炊く
4・ご飯を人肌程度に冷ましてからこうじを混ぜる
5・漬物用のビニール袋を敷いたいずし用の漬物樽に1・2・4を交互に詰める。
6・重石をして寒い場所に一ヶ月ほど置いておく。
7・一ヶ月たったらいずし用の漬物樽をひっくり返して水気を切る
8・二日間水気を切ったら、出来上がり。


今日は7番目の工程をやったわけであります。

それでもって屋外の物置に置いてあるいずしの樽をですね、えいやっとひっくり返して、園芸用のプランターをのっける台の上に置いたんですわ。
文字で書くとあっさりしてますが、いずしは生臭いし、その生臭い水が手や腕に飛び散るし、そうするとものすごく冷たいし、もちろん気温は氷点下だし、ともう、えらい騒ぎだったのです。

いよいよ明後日いずしを食べることになりますが、もちろん最初に母が食べ、そのあと様子を見てから私らが食べるのでございます。だってボツリヌスが怖いもんな。


というわけで我が家の恒例行事の一つが終わったわけですが、ヤナギもまた毎年の恒例行事であるインフルエンザ感染&寝込みを終えたもようでございます。

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2006/01/10

春は来るさ

あー、これはアレだな、メッシーナの会長の嫁を寝取るくらいしてもええんとちゃうか?
日本男児の意地を見せてやれよ会長の嫁に、いや、イタリア人どもによ。
しかしヤナギは見かけと違って執念深いところがあるからまた違った方法でウサを晴らしてくれそうな予感がするんだ、予感がな。

話は変るんですが、久々に私は髪を切ってみました。べつに失恋したとかそーゆーんじゃあない。
ダイエット中のためか髪がぼさぼさに痛んでしまったので切ってみたのでございます。
しかし、すぐに後悔してしまったのであります。

30センチ近く髪を切った結果、えらい寒いのでございます。
あー。春に切ればよかったんだなあ・・・とぼんやりとしたマミコなのでございました。

今は雪が山積みだけれども、春は来るさ。必ずな。

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2006/01/06

煙突がぶっこわれた

それは昨年の年の瀬、冷え込みの厳しい朝。
さーて今日も張り切って海外オートサーフでもやるかね~とパソコンを置いてある台所のドアを開けて一歩中に入ったその瞬間、
私の足がばしゃっという水音を立てたのでございます。


水?

私は台所の隣の部屋でいびきをたてている母に声をかけました。

「かーちゃん、昨日台所で水こぼしたべや?」
「・・・・あああん?あたしゃ水なんか飲まねえぞ、あんたこそこぼしたんじゃねえの?」

朝っぱらから頭痛がしてきましたが、起き出して来た母にもその水を踏ませてやりました。
よーやくただ事ではないことに気がついたようです。
どう見ても「こぼした」という程度の水じゃあない。


果たしてこの水はどこからやってきたのか。
まず天井。雨漏りの跡は全く見受けられない。
次に床。水は50センチ四方に貯まっていたが、それ以外の部分には一滴もナイ。だから結露とかでもない。


それじゃ壁か?
水がたまっていた床に面している壁にはその昔石炭をくべていた炉の跡がある。
なんでまた石炭なんかたいていたかっていうと、ウチの昔の暖房手段ってのが

「ペチカ」

だったからである。

「ペチカ」ってのはレンガを積み上げて炉を作り、その中で石炭をたいて暖をとるっていうもんである。
何でまたそんなミョウなもんをわざわざ作ったのかわからん。

それでその炉の跡の扉を開けてみたらば、真っ黒い水がどばっと流れ出してきたのさ。
朝っぱらからぎゃーぎゃー言いながら大騒ぎする羽目になったんだよ全くこのクソ忙しい時に。

で、程なく大工さんがやってきた。そしてこう言った。

「煙突が壊れているんじゃあないんですかねえ」

炉があるってことはもちろん煙突もあるです。

それで大工さんに頼んで直してもらうことになった。
で、半日かけて直してもらった。

まず20年以上掃除していなかった煙突を掃除した。さっきより更に黒くてどろどろした油煙まじりの水が噴出して気絶しそうになった。
更に煙突の入り口に網を張って雪が直接吹き込まないようにした。

はーやれやれ。

・・・・・そして今日である。

朝、起きてきて台所のドアを開けた私の足はまたしても水浸しになってしまったのである。


ああ・・・それもこれも、その昔、「ペチカ」と「薪ストーブ」のどちらにするか多数決をした時にわざわざペチカを選んだ母のおかげかと思うと泣けてくるわ。

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2006/01/04

今年の目標は

昨年は何となく暗い気持ちで過ごしてしまった・・・・・。

今年はポジティブに行くぞ!

小笠原やヤナギの処遇の行方も気になるが。私が暗くなったってどうにもなるもんじゃねえ。

サポートととは支えになるってことだからさ、支えになるにはどっしりしてなくっちゃいけねえってもんじゃね?

・・・というわけで、三が日が終わったっていうのに、母の年賀状の印刷をやっていた、相変わらずきびきびしないマミコだったのさ。

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